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さようなら、とこの国々の人々が別れにさいして口にのぼせる言葉は、もともと『そうならねばならぬのなら』という意味だとそのとき私は教えられた。 - 本で出会った素敵な言葉 vol.0157

 

【投稿者】

40代 女性

【本で出会った素敵な言葉・好きな一節・感動した一文】

「さようなら、とこの国々の人々が別れにさいして口にのぼせる言葉は、もともと『そうならねばならぬのなら』という意味だとそのとき私は教えられた。『そうならねばならぬのなら』。なんという美しいあきらめの表現だろう。西洋の伝統のなかでは、多かれ少なかれ、神が別れの周辺にいて人々をまもっている。英語のグッドバイは、神がなんじとともにあれ、だろうし、フランス語のアディユも、神のもとでの再会を期している。それなのに、この国の人々は、別れにのぞんで、そうならねばならぬのなら、とあきらめの言葉を口にするのだ」

 

【タイトル・著者】

須田敦子「遠い朝の本たち」

 

【その言葉が好きな理由・感動した理由】

この一文は正確には、須田敦子さんがアン・モロウ・リンドバーグの言葉を引用したものですが、おそらく翻訳は須田さん自身の言葉で行ったのだと思います。須田敦子さんの文章は、静謐感がありひらがなが多く、読むだけではなくページを見るだけでも柔らかなトーンを視覚から感じます。キリスト教の国の別れの言葉と日本のそれとは、まさに文化の徹底した相違を表象していて、私はこの一文を忘れることができなくなりました。私を溺愛してくれた父の死にさいしても、この一文を思い出したものです。 須田さんはさらに、後にフランス語やイタリア語を翻訳することになったとき、アン・リンドバーグが外国人から感じた日本の「さようなら」について著述していたことをたびたび思い出し、「アンは、あなたの国には『さようなら』がある、と思ってもみなかった勇気のようなものを与えてくれた。」と書いています。私もイタリア人の夫に、日本語の「恩」を説明するとき、かなり困った記憶があり、文化の壁はインタネーットが普及した現代でも高いものだなと改めて感じます。

【本の内容】

人生が深いよろこびと数々の翳りに満ちたものだということを、まだ知らなかった遠い朝、「私」を魅了した数々の本たち。それは私の肉体の一部となり、精神の羅針盤となった―。一人の少女が大人になっていく過程で出会い、愛しんだ文学作品の数々を、記憶の中のひとをめぐるエピソードや、失われた日本の風景を織り交ぜて描く。病床の著者が最期まで推敲を加えた一冊。